映像入力に含まれる同期信号(後述)を使用せずに、別の同期信号で同期させること。 簡単で手軽さが魅力の冷凍食品やインスタント食品は、近頃は味も良くなってつい多用しがち。お弁当やお昼、お夜食などの時に頼もしい味方ですが、便利だからとそればかり食べていてはダイエットにはなりません。 外為は、北海道に関係する自然・文化・産業などの中から、次世代へ継承したいものとして北海道遺産構想推進協議会が選定した有形無形の財産群である。現在52件が指定されている。 北海道遺産を活用することで、北海道民自身によって北海道に新たな活力を生み出す運動を北海道遺産構想と呼ぶ。北海道遺産構想推進協議会は北海道遺産構想を推進するために設置された民間主体の機関である。 北海道遺産の目的は、先物取引 ならではの価値を掘り起こし、観光などへ活用することによってそれらの価値をさらに高め、将来へ繋げていくことにある。 日経225 1997年4月に、当時の堀達也北海道知事により提唱された「北の世界遺産構想」が始まりである。同年8月に北海道庁内に設置された「北の世界遺産推進方策検討プロジェクトチーム」により1999年5月に発表された報告書によって、北海道遺産構想の枠組みが出来上がった。1999年から2000年にかけて北海道が北海道遺産の候補を公募した。2001年に設立された北海道遺産構想推進協議会により北海道遺産が選定され、同年10月22日、応募総数約1万6000件の中から第1回選定分の25件が決定した。2003年、第2回選定分の候補が公募された。応募総数9107件の中から、2004年10月22日に第2回選定分27件が決定した。 1997年:北の世界遺産構想が道知事により提唱される 1999年:北海道遺産候補が公募される(〜2000年) 2001年10月22日:北海道遺産第1回選定分25件が決定 2002年:ふるさと切手「北海道遺産」発売 2003年:北海道遺産候補が公募される。北海道遺産応援団が設立。 2004年10月22日:北海道遺産第2回選定分27件が決定 北海道遺産の一覧 第1回選定分(2001年10月22日公表) 旧士幌線 第五音更川橋梁 (2005年6月) FXタウシュベツ橋梁 (2005年9月) 稚内港北防波堤ドーム - 稚内市 留萌のニシン街道(佐賀番屋、旧花田家番屋、岡田屋と生活文化) - 留萌地域 増毛の歴史的建造群(駅前の歴史的建造群と増毛小学校) - 増毛町 空知の炭鉱関連施設と生活文化 - 空知地域 石狩川 - 流域48市町村 北海道大学 札幌農学校第2農場 - 札幌市 小樽みなとと防波堤 - 小樽市 京極のふきだし湧水 - 京極町 昭和新山国際雪合戦大会 - 壮瞥町 内浦湾沿岸の縄文文化遺跡群 - 南茅部町(現函館市) 姥神大神宮渡御祭と江差追分 - 江差町 上ノ国の中世の館(たて) - 上ノ国町 福山(松前)城と寺町 - 松前町 函館山と砲台跡 - 函館市 路面電車 - 函館市、札幌市 (札幌市電、函館市交通局を参照せよ) 螺湾(らわん)ブキ - 足寄町 旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群 - 上士幌町 霧多布湿原 - 浜中町 摩周湖 - 弟子屈町 根釧台地の格子状防風林 - 中標津町など ワッカ/小清水原生花園 - 常呂町(現北見市)、小清水町 ピアソン記念館 - 北見市 アイヌ語地名 - 北海道各地 アイヌ文様 - 北海道各地 北海道のラーメン - 北海道各地 第2回選定分(2004年10月22日公表) 登別温泉地獄谷(2004年3月) ジンギスカン鍋 旭橋 - 旭川市 雨竜沼湿原 - 雨竜町 江別のれんが - 江別市 開拓使時代の洋風建築(時計台、豊平館、清華亭など) - 札幌市 札幌苗穂地区の工場・記念館群 - 札幌市 函館西部地区の街並み - 函館市 五稜郭と箱館戦争の遺構 - 函館市など 静内二十間道路の桜並木 - 静内町 (現新ひだか町) 積丹半島と神威岬 - 積丹半島 森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」 - 丸瀬布町(現遠軽町) スキーとニセコ連峰 - ニセコ地域 宗谷丘陵の周氷河地形 - 稚内市 土の博物館「土の館」 - 上富良野町 ニッカウヰスキー余市蒸溜所 - 余市町 野付半島と打瀬舟 - 別海町、標津町 登別温泉地獄谷 - 登別市 北限のブナ林 - 黒松内町など 北海幹線用水路 - 空知地域 モール温泉 - 音更町など オホーツク沿岸の古代遺跡群 - 網走地域 流氷とガリンコ号 - 紋別市など 天塩川 - 流域13市町村 アイヌ口承文芸 - 北海道各地 屯田兵村と兵屋 - 北海道各地 サケの文化 - 北海道各地 ジンギスカン - 北海道各地 北海道の馬文化(ばん馬、日高のサラブレッド) - 北海道各地 北海道遺産物語 北海道遺産物語(ほっかいどういさんものがたり)は、北海道テレビ放送(HTB)が制作・放送しているテレビ番組である。毎週、北海道遺産をひとつずつ紹介している。2007年3月24日で一旦終了し、同年4月21日からは「北海道遺産物語 第二章」として放送を再開した。なお、番組はインターネット(本編はブロードバンド限定)およびNTTドコモのFOMA端末で視聴可能である。(Vライブサービスで配信) 1904年(明治37年)に架けられた鋼橋(全長約153m、幅約11m)であったが、大正末になると木製部分を中心に老朽化が進み、都市拡大に伴う交通量増加に対応できなくなりつつあった。さらに旭川市街軌道が旭橋を通る路線を計画していたこともあり、旭橋は架け替えの必要に迫られた。 1927年(昭和2年)、北海道帝国大学土木工学科橋梁学教授の吉町太郎一に設計指導を依頼し、内務省と協議した結果、橋梁形式にブレースト・リブ・バランスト・タイドアーチ橋を採用することとなった。日本でこの形式の橋は岩手県一関市の北上大橋、東京都荒川区/墨田区の白髭橋、岐阜県岐阜市の忠節橋、そして旭橋の4例しかない。工事は1929年より始められ、1932年(昭和7年)11月3日に竣功した。建設総費用は1,038,650円であった。 完成後70年以上経過しても使用できる強靭なその構造は、ドイツから輸入した高張力鋼の採用や48万本以上のリベット接合、床板にバックルプレートの使用やロッキングカラムなどの伸縮に耐える仕組みに因るものでる。 それらの最新技術で設計された目的は当時設置されていた旧陸軍第7師団司令部の存在に起因し、戦時に敵に橋脚が攻撃されても崩落に耐え、また戦車などの重量物の通行を可能とするためであった。激流と戦う戦艦とも称された。 また当時の旭橋正面には軍人勅諭網領を書いた旭日章が掲げられ、それに対し通行する者は立ち止まり辞儀や敬礼をし、市電車内では車掌が通過時に号令をしたという。 戦地に赴く軍人はその多くが、第7師団から旭橋を渡橋して出征していった。 軍都旭川を象徴し師団橋とも呼ばれた旭橋は第二次世界大戦終戦後に軍人勅諭は撤去され、市電も廃止されたが、そのまま旭川を象徴する構造物として近隣の常磐公園と共に市民に親しまれ、優雅なアーチを描くその姿は旭川を表現する意匠として各方面で用いられている。 森林鉄道で使用されていたため、いわゆる狭軌である。 雨宮製作所の製作した蒸気機関車としては最晩年の作品であり、やや腰高な印象はあるが寸法の割に水タンク容積が大きいなど設計の完成度が高く実用的で、雨宮倒産後に現れた、立山重工業や協三工業といった地方のメーカーが手がけた産業用小型機関車群の範となった機種の一つである。 投資信託を含め、同型の蒸気機関車が複数丸瀬布町(現北海道遠軽町) の武利意森林鉄道に用いられていたが、1962年の廃線により用途廃止となり、本車両以外はスクラップとなった。本車両は丸瀬布営林署より払い下げを受け、1980年に修復が終了。動態保存され、現在も遠軽町丸瀬布上武利の森林公園いこいの森内で春から秋にかけての同園営業期間中のうち、土・日・祝日(夏休み期間は毎日)に運転を行っている。 2004年10月22日に北海道遺産に指定され、2008年9月13日には生誕80年の記念イベントが森林公園いこいの森で行われた。